わたしを離さないで 2話 「これは良い原作改変」
こんばんは、アオトです。
「適応障害」と診断されて、自宅療養を余儀なくされて、昔の夢だった小説家に向けて、28歳で再スタートしているアオトです。
「自称フリー(笑)」「自称小説家(笑)」「自称フリーライター(笑)」。この、雑草生い茂る肩書きを小脇に抱えて生きてる男です。
ぼく、天邪鬼+他力本願なので「アオト氏、それは酷すぎますぞ。生き方の下手くそがすぎますぞ、うえ、おえー」とか言ってくれて結構です。その方ががんばれるので。
なんの話かわからないことは置いといて、表題へ。
「わたしを離さないで」2話を観た。さくっと感想。短めで。
まず、観終わった瞬間に脚本家を検索。森下佳子さん。ああ、「仁-JIN-」とか「ごちそうさん」やってる人ね。そりゃおもろいわ。
まず、綾瀬はるか演じる恭子が、原作よりかなり感情を露わにする女性として描かれている。原作や映画のキャシー(ドラマでいう恭子)は、感情を表に積極的に出さない。ただ、起こる現象の流れに身を任せるように生きる。内に秘めた思い、葛藤と折り合いをつけながら自分の運命と向かい合う一人の女性。そういう印象だった。ドラマ版も、幼少期の恭子はそういう性格が見受けられる。
が、ドラマ版は声にさえ出さないものの、恭子の脳内で再生される音声では、結構キツいことを言ってる。友人の美和(原作:ルース)は「この女」呼ばわりだし、彼女を憎むが故のセリフ「いっそ私が殺してやろうか」とかゾクゾクしたよ。「白夜行」のときも思ったんだけど(え、これも何年前なんだろ)、やっぱり綾瀬はるかは「ホタルノヒカリ」とかのおバカキャラより、シリアスな演技の方が好き。何より表情が良いよね。
森下さんや綾瀬さんが原作を読み、解釈した「恭子像」は、「あれだけの境遇を彷徨っているのだから心の屈折は避けれないんじゃないか」という部分もあったのではないだろうか。もしそうだとしたら、大いに共感する。そして、幼少期の恭子の心が大人になるに連れてどう変化していくのか……。それが楽しみでしょうがない。
また、陽光学園の生徒が提供に対して抱く違和感もしっかり描かれている。原作より明らかに子供たちが敏感なのだ。自分たちの境遇をすんなり受け入れきれない。提供に対しての不安、恐怖が随所に散りばめられる。そして起こる、起きてしまう生徒の脱走。
その生徒たちは無事発見されたものの(全然無事じゃねえ〜)、まもなくして「提供」した。いや、「提供」された。タツコ先生の手によって。証拠隠滅。
"ー子供たちと同じ世代の提供が、この世界でどれほど望まれているかあなたもご存知でしょうー"
このシーンはやばかった。良い意味で。かなり良い意味で。そのセリフ聞いた瞬間「この脚本家すごいな」って思ったのです。原作の情報からのアウトプットがすばらしい。だってこのシーン、原作にないからね。この加筆されたシーンに脱帽、そして感動。
今まで脚本家でドラマを追いかけることがなかったんだけど、今回は森下さん目当てで
引き続き観る予定っす。
ただ、このドラマ視聴率低いらしい。けど、もはやこのご時世でテレビ視聴率よりアテにならない数字はないでしょう。あー、あとソシャゲのガチャの確率か。