アオトのコゴト

ここは文字に臆病になった僕が通う診療所

「わたしを離さないで」最終話 わたしを…離さないで。

こんにちはアオトです。

ブログ更新しようと思ってた金曜日の早朝から謎の腹痛に襲われて、パソコンの前→ソファ→トイレ→パソコンの前→トイレ→ベッド→トイレ、トイレ、トイレ…って具合でした。ほんとつらかった。まだ調子良くはないんだけど、なんとかって感じ。話しによれば、義弟が胃腸炎からの発熱、義父も発熱と体調不良が続いているよう。そりゃそうよ。寒暖差激しすぎるもん。にしても腹痛はつらい。ぼくはトイレの600×800のスペースと心中するんじゃないかって自暴自棄にならざるを得ない状況だった。

で、復活(仮)の状態でブログ書こうと思ったけど、もう放送から一週間以上過ぎてる。昔のドラマのDVD借りて感想を述べるのとは違う、祭りに出遅れた感、チケット握りしめて行ったコンサートがもう終わってた感しかしない。けど、ここまで全話書いてきたわけだし、こっちもフィナーレじゃい。

 

最終話を観て気づいたこと。これは前回からだけど、恭子とトモ以外の陽光学園卒業生が誰も出てこない。陽光関係者として恵美子先生や龍子先生の登場はあるものの「卒業生」の影はない。つまり、これは結果的にふたりの物語だったということになる。

クローンやそれを育成する制度や学校や、臓器提供やいろんな話があったけど、終着点は恭子とトモのふたりの愛の話である。っていうのがすごく伝わった。ふたりがすごす時間はもしかしたら、若く青々とした時期に思い描いていたものとは食い違うこともあったかもしれない。でも最後の瞬間をふたりが愛し合って終わったのは見ているこちらも救われた気がする。

だからね、いいの。べつに。川に捨てたサッカーボールがのぞみが崎の打ち寄せる波に乗って恭子の足元へ還ってきたって。「おい、そんなわけないやろ」って展開でも、いいんです。いいんですよ、そんな細かいとこは。それぐらいのプレゼント、恭子にあげてもいいじゃない。がんばったんだからさ。

と、映像を見ながらまだ見ぬ誹謗中傷に対して、勝手に擁護してた。そうです。べつにいいです、そんな細かいとこは。そんなん気にしてたらSFなんか1本も観れやしねーですよ。

 

ただ、ぼくがまたもずっこけてしまったのは「わたしを…離さないで」と恭子がトモに言うシーン。しかも2回言いやがったよ。

確かに美和がストレッチャーの上で叫んだものとは意味合いが違うセリフにはなっていたけどさ。ほんとにいるのあれ? ぼく今クールのドラマのせいで、完全に「タイトル回収セリフ」恐怖症に架かってしまった。これからそれに怯えながら、ハラハラしながらいろんな作品を見聞きするのかと思うと穏やかな心でいられない。

 

ぼく、今まで作品タイトルが作中にまんま出てきて感動したの「煙か土か食物」(小説:舞城王太郎作)しかない。ようするにこの疾患の治療には、たくさんの成功例を観る必要があるわけで。

だれか教えてくれ、良い作品。治してくれこの病い。

 

とかなんとか。ともかく、「わたしを離さないで」ドラマ版完結。海外小説を日本版に置き換えた作品としてはとても良くできていたと思う。原作を知らない人でも大いに考えさせられた作品であったことも間違いない。

 

そういえば、このあいだ電車の吊り広告で「今期のドラマがひどかった理由」みたいな見出しを見たけど。ぼくは普通におもしろかったけどな。月9も「わたしを〜」も。

視聴率=作品の評価って時代はいつ終わるのでしょう。そもそも視聴率なんぞが正確な数字でないことは明白なのに「月9、過去最低視聴率」とか書いてる記事を見るとやるせなくなるよ。そんな物差し早く捨ててしまえばいいのに。どうせババアかおっさんが暇つぶしで書いた記事でしょうし読まないけどね。

 

こういうふうに良作ドラマが次々に埋もれていく時代です。だから、余計に視聴者のぼくたちは自分たちで良い作品を探していく「眼」を育てなければいけないですね。