アオトのコゴト

ここは文字に臆病になった僕が通う診療所

「わたしを離さないで」8話 の前に…。

こんにちは、アオトです。

今日は3月11日ですね。東日本大震災から5年。今でも自宅に帰ったときにテレビの映像で見たおぞましい光景が脳裏に浮かびます。リビングのリクライニングチェアに座りながらその映像を見ていたおかんに「映画かなんかやってんの」と思わず聞いてしまったことも。その体験はワールドトレードセンターに旅客機が突っ込んでいく、セルフスローモーションの映像を観て以来。仙台空港が水浸しになり、住居などの建造物がまるで打ち上げられた魚のように水流に押し込まれていく様は、とても現実のものだと受け入れるに難かった。そんな悲劇から5年。今ブログを書いている時間の20分後に、発生時刻となります。早いものです。早すぎるものです。

 

そんな中、今日Twitterのトレンドに「偽善者」が入っているのを見つけました。これはなんとも、ほほう。興味深い。

人は、すぐに偽善者を悪者扱いする。なんなんでしょうね。そんなことを言い始めたら、日本国民のほとんんどが偽善者でしょう。復興支援している人がいったい国民の何パーセントを占めているのか。5年間片時もあの災害を忘れなかった当事者以外の日本人がいったい何人いるのか。ぼくだって全然ダメだし、そりゃ忘れていることがほとんどだったりするんですけど、そういう人が頑張ってる人とか復興を願う発言をしている人を否定するのはどうなのかと。

 

ぼくはいつも「偽善は善の始まり」と思っています。善行なんてね、端から見たら偽善にすり替わって見えちゃうもんなんですよ。そりゃ悪巧みを孕んだ思考の人もいるでしょうけれど、それはひとまず置いときましょうや。だからね、なんもしてない人が何かにつけて文句言っちゃあダメなんです。ほんとに。

 

最近は、小説やドラマ、映画などでもやっとというかようやく「あの日」についての描写が見られるようになってきた気がします。今回の月9「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でもスキップはしているものの、震災について触れています。2週前の放送、静恵さんの家で5年ぶりに再会した音ちゃんと木穂ちゃんがごはんを食べているシーン。「震災のとき、練に連絡した?」「したよ」っていうやりとりがすごく印象的でした。

 

あの直接関わっているような関わっていないような絶妙な距離感は、今を生きる僕たちと東北との距離をそのまま表しているような気がしました。この言葉すごく嫌いだけど、あのシーンが妙に、というか恐いほど"リアル"だったのです。たとえ被災地に友達が居たとしても、

メールを1本打つだけだった(確か「電話もした」という描写があった気がしますが、曖昧でごめんなさい)。

または、連絡を取ることで精一杯だった。それしかできなかった。

でもちゃんと心配はしてた。

 

これすごく的を得ていると思うんです。

そう、僕たち非被災者はほんとに無力で、あのときは恐れることしかできなかったのです。ビビってたんです。

で、ビビってたらそのまま日常生活が再会したんです。それがすべてだと思うんです。

 

だから今日ぐらい、みんな胸はって偽善者になってもいいじゃない。「善いことしよう」って意気込んでからする行いが、結果「善いこと」ならいいじゃないですか。

 

僕が言いたいのはそれだけです。

 

って、あああドラマの感想どうしよか(笑)うん、別記事にします。