アオトのコゴト

ここは文字に臆病になった僕が通う診療所

町の本屋が死んだ

昨日、町の本屋が死んだ。

 

僕が住んでいる町は、最寄り駅の周辺にイオンをはじめ、飲食店やコンビニ、美容院などなんでもある。逆に駅から半径1キロメートル外に出るとなにもない。まあそんな、どこにでもある景色なんだけど、一個だけ気に入っているところがある。それは本屋があることだ。しかも、ただの本屋じゃない。小さな本屋だ。

 

ジュンク堂とか紀伊国屋とか、大型の書店も嫌いじゃないけど、僕は小さな本屋が好き。スペースが限られている本屋は、流行りの本や新刊の雑誌を並べてしまえば、簡単に棚はパンパンになってしまう。だから、その他の本は厳選されたものが置かれる。そこに店ごとの色が出るのだ。

例えば、「お、この本置いてるとかやるねえ」とか「この本は見たことない。店長の趣味かな」とか「ちっ、やっぱここには置いてねえか」とかとか。大型書店にはない、本棚との会話が楽しめる。ちなみに、その本屋には雑誌の「群像」が置いてあって、僕は引っ越したときから一目置いていた(だって群像ってほんと置いてないところ多いからね)。

 

昨日は小さい本屋さんに、三島由紀夫の「命売ります」を買いに行った。最近人気らしくて、結構どこの本屋でも平台に積まれてるのを見かける。

その本は、父親が「面白かったから読んでみー」といま借りている最中で、これがまたほんとに面白い。三島作品は「金閣寺」がなかなか読み進められなくて辛い思い出の方が多かったんだけど、これはすらすら読める。ただ、帯に「極上エンタメ小説」って書かれてるんだけど、いやいや「極上ハードボイルド小説」なんだよなあ。そういうキャッチ付けて欲しかったなー。でもそれだと売れないよねー、なんだかなあ。

 

ってそれは置いといて。

で、自分の本棚にも常備しておきたいと思って本屋に入った。本屋に一歩足を踏み入れると、なんとなく違和感があった。

あれれ、なんか雑誌が少なくないか。いつもはケバケバしたお姉さんの表紙が一斉にこちらを睨んでくる棚が閑散としている。それでも、そのときの僕は「棚卸しが間に合ってないんかな」なんて呑気なことを頭に浮かべながら、店の奥へ向かった。

 

「命売ります」の場所はすでに把握していたので、僕は周りの本をいっさい視界に入れずにそれを手にとってレジに向かった。そしたらあれま、レジ前の話題書コーナーの台もすっからかんじゃないか。いつもは見えない白い天板が、蛍光灯の光を反射している。これはさすがにおかしい。

疑問を抱いたままだったけど、お会計は進む。レジカウンターの女性スタッフに定時された額をトレイに置く。そのとき、カウンターの上に白い紙が数枚積まれているのに気がついた。二つ折りされた紙の表には、黒い太字のゴシック体で「1月31日をもって閉店致します」と書かれている。

閉店……しかも日付は……今日。

 

「え、ここ閉店しちゃうんですか」と思うよりも先に声が出ていた。女性スタッフは「ええ、そうなんです。申し訳ありません」と、本当に悪い事をしましたといわんばかりに僕に頭を下げた。僕はどうしていいかわからなくて「ご苦労様でした」と言って一礼を返した。そのやりとりが、閉店を迎える書店員と、町に引っ越してきたばかりのひとりの客がかわす挨拶に適していたかどうかはわからないけれど、僕には「ご苦労様でした」ぐらいのありきたりな言葉しか思い浮かばなかった。

 

それからしばらく、家に帰ってからも何か釈然としない気持ちは晴れなかった。

 

《僕は本屋のある町が好きだ。その本屋が小さいと尚良い。なぜなら、本棚との会話が楽しめるからだ…。》

 

はあ。

時代の流れ、出版不況。電子書籍に通販サイト。理由はたくさんあって、きっとどれかが、いや全部が無条件にあの本屋にも当てはまってしまったんだろう。この町が僕にとってひとつ、退屈になった。

 

閉店する店で最後に買った本のタイトルが「命売ります」なんて、皮肉すぎるよ三島センセイ。