アオトのコゴト

ここは文字に臆病になった僕が通う診療所

ロボットにはパッションが必要だと思う

こんにちは、アオトです。昨日の大阪はすごく暑くて、朝ダウンを着てタバコを買いに行ったんだけど、途中で脱ぎました。日中は白シャツ一枚で十分すぎるほどで、そろそろ春をすっ飛ばして夏だな。なんて思ったりしてましたよ。

 

そうそう、昨日といえばテレビで「パシフィック・リム」がやってましたね。観てないけど。違うな。昨日は観てない。以前観ました。あれ何年前だったかな。先輩に「ハリウッドが超日本的なロボット大作を撮ったよ。ガンダムとか好きなら絶対観て後悔しないから」と熱弁されて、じゃあ観てみよかしらと思って拝聴した。

感想は「なんか違う」の一言。

 

その先輩は、「今までの海外ロボットものと違って、人が中に搭乗してまるで手足のように巨大ロボットを動かすんだよ」と言っていた。確かにそれは間違ってなかった。イェーガーと称される戦闘ロボットに、パイロットのふたりがコクピットに乗り込んで操縦する。操縦方法は、パイロットが両手足を動かすと、おっきい「メトロイドのサムス」みたいなイェーガーが連動して同じ動きをする。パイロットがふたり同時に右ストレートを繰り出せば、右パンチどーんってかんじで。

でもね、なんだろうな。なんか違うんだよな。あのコクピットの中で敵に対して四苦八苦してるパイロットたちがウォーキングマシーンでぜえぜえ言ってるおばちゃんにしか見えなかったのはぼくだけだろうか。

そう、結局「機械人形」でしかなかった。あれじゃあただのおもちゃじゃないか。

 

ぼくは小さい頃からロボットアニメが大好きで「ガンダム」シリーズはもちろん、勇者シリーズゴルドランジェイデッカーマイトガインとか)も欠かさずに観ていた。「ビースト・ウォーズ」なんかも流行りましたね。あれはちょっと異質っちゃあ異質だけど、ロボットものに変わりはない。

そんな「ロボット好き」の端くれの観点から、「パシフィック・リム」を観ると、「パイロットとまるで同機したようにロボットが動く」を勘違いしている。「ガンダム」を見ればすぐにわかると思うけど、ガンダムはあの狭いコクピットの中でまるで一体化したようにガンダムを動かすパイロットが「かっこいい」のです。あんなねえ、自由気ままに動くのとは違うんすよ。ハンドルとペダルをカチカチしながら戦うのがかっこいいんですよ。もし「パシフィック」的方式で動かすのなら、「Gガンダム」ぐらい振り切れろって話。だって、生身だぜあいつら。

 

そして、一番の違いはイェーガーに意思がない。もとい、パイロットたちに「こいつにも意思がある」という信頼関係がない。そりゃそうよね、だってロボだもの。マシーンだもの。っていうのが一番嫌だ。

例えば日本の場合。「Wガンダム」では、主人公ヒイロがガンダムに「なあゼロ教えてくれ」と問いかける。それに対してガンダムは「そうね、それはね……」と直接答えるわけではない。代わりにレーダーがピピピピブーーンって光ったりして反応する。

このかんじ、わかるかな。その無骨なやりとりがかっこいいのよ。今絶賛放送中の「鉄血のオルフェンズ」でもそれは受け継がれている。主人公のミカヅキが「お前はどうだ、バルバトス」って叫んだら、アイランプがピカーン! って光る。これ、別になんかのボタンポチッと押したわけではないんです。この「ありえないんだけど、ありちゃう関係」がたまらなくぞくぞくするんですよ。それがねえ、イェーガーと菊地凛子にはありましたか。ないでしょう。そこがなんか嫌だったんです。

 

そんななか思うのは、「パシフィック・リム」なんかより「トランスフォーマー(1作目)」の方が断然、圧倒的に日本らしくてかっこよくてなにより面白いということ。「トランスフォーマー」で主人公が終盤大ピンチを迎えて、咄嗟に「バンブルビー!!!」って叫んだ瞬間、ボロボロになって立ち上がるのもやっとのはずのバンブルビーが突撃してくるシーンなんかたまんない。日本の勇者シリーズを思わせる演出。胸熱すぎ。ぼく泣きましたから。ガチで。

 

あの"情熱"が「パシフィック・リム」というロボット作品にかんじられなかったんだよな。結局人間が作った機械人形以上でも以下でもなくなってしまったイェーガーさんは、すこし可哀想だとも思えなくもない。

だからぼくは「パシフィック・リム」が絶賛されているのを聞いて、「うん、当分トランスフォーマーだけでいい」と思っちゃったという話でした。